オカルトトリック あとがき

オカルトトリックにあとがきを追加しました。

Kindleで読まれたい方は、お手数ですが。
「コンテンツと端末の管理」からアップデート版をダウンロードされるか、カスタマーサービスまでお問い合わせ頂きますようお願いいたします。

以下、オカルトトリックより抜粋。


 あとがき

 作者の八槻翔です。
 拙作「オカルトトリック」をダウンロードしていただき、こうして最後まで読んでいただき、誠にありがとうございます。

 オカルトトリックの発売から一年が経ち、この作品だけ私からの言葉がなかったので、プライムリーディングにも選ばれたこともあり、良い機会なので、あとがきを書き直しております。(二〇一七年十一月三十日)

 以前のバージョンだと、(編集者のような存在の)南郷から、思い入れが強くて書けないようだ、という断りがありましたが、確かに、思い入れが強い作品であるのは間違いないのですが、ただ単純にそのときは、素人作家のあとがきはいらないだろう、「かさ増し」、「蛇足」だという風にしか思っていなかったのです。
 ですが、二作目の天空城殺人事件からあとがきを書くようになり、ありがたいことに私の作品を全部読んでくださっている方もいるようで、この作品だけあとがきがないというのは、もしかしたら残念な気持ちにさせてしまっているかもしれないと思いまして、こうして筆を執っている次第です。そういった方に、アップデートして読んでいただければいいのですが……。お手数をおかけして大変申し訳ないです。


 ここからは、魔女の大暗号のあとがき同様、裏話といいますか、制作秘話みたいなものを書いて参ります。こういうあとがきが好きなので、それに則ります。

 さて。この作品は四年前に書いたものでして、つまりはパソコンの中に眠っていた作品です。それをあまり手直しせずにキンドルで発売したものになります。
 不誠実だよなとは感じていたのですが、リライトしようと読み返してみますと、どうも気恥ずかしいと言いますか、自分の作品じゃないような感覚に襲われるのです。もちろん私が書きましたよ。
 ただ、文章やキャラクターが今の私の感覚からかけ離れていて、どうも落ち着かないのです。これを触ることは、すなわち、物語の崩壊に繋がるんじゃないかと思うほどで、結果として、あまり改稿はしませんでした。

 本作を書いていたのはちょうど某ラノベレーベルでデビューする前で、デビュー作が選考されているときでした。ですので本作はかなりライトノベル寄りです。といっても、現在、私がキンドルで発表しているもののほとんどはライトノベルなので、読者様はピンと来ないとは思いますが、この作品を境に一般小説にシフトしていったので、どうしても今読み返すと、なぜこんな作品ができあがったのだろう、と思わずにいられないのです。ですので下手に触れない、触らないでおこうといった形になりました。


 作品を作るに当たって、私はいつも題材から決めていくのですが、天空城殺人事件でいえば「RPG」、魔女の大暗号で言えば「古典暗号」、本作に関して言えばそれは「オカルト」にあたります。舞台が高校で、キャラや設定がラノベ的。しかし、本作は私には珍しく題材よりもテーマの方が先にできあがっていました。
 本作は、題材にしろ、舞台にしろ、キャラクターにしろ、世界観にしろ、それらの組み合わせにしろ、真新しさはあまりないかと思います。
 ただ、テーマだけはよかったかなと個人的に思っています。三編ともブレていないし、真新しさもあるような気がします。

 とはいっても、この作品のテーマを端的に述べるのは、作者である私でさえとても難しく、「相手がよい状態になるのであれば、たとえ騙したとしても、それは悪いことではないんじゃないか」といったところでしょうか。凜の口癖に近いものがありますね。「結果さえよければその過程なんてどうでもいい」という台詞です。その人が、より良くなったと感じられるのであれば――、
 たとえば、「近いうちに良い出会いがあるよ」と言った占い師の言葉を信じて気分良く過ごしていたのに、外野が「占い師なんて嘘っぱちだよ。誰にでも当てはまることを言っているんだよ」とか、超能力者の番組を楽しんでいるのに、「あれはペテンで、やつはマジシャンだ」と明かしてしまったり、不慮の事故で死んだ息子の言葉を霊媒者に伝えてもらって救われていたのに、「あれはでまかせだ。死んだ息子の言葉ではない。やつは金が欲しいだけだ」などと言ったりするのは、あまりに空気が読めないと言えるでしょう。
 過程を気にするあまり、結果を悪くしてしまっているのです。
 どちらが大事なのかは言うまでもないことでしょう。
 長いですが、これが本作のテーマになります。


 このテーマに行き着いたのは、レビューコメントに雰囲気が似ているというものがありましたが、京極夏彦先生、中島らも先生の作品を読んで感じたところからの出発だったように思います。
 特に、中島らも先生の「ガダラの豚」では、超能力者を暴くといったマジシャンがいまして、「マジックを使っているのにそれを超能力だと言い張っているのは許せない」というスタンスのキャラでした。私からすれば、なぜそこが気になるのかが分からなかったのです。奇術師だろうが、超能力者だろうが、奇跡を見せることは同じです。ましてや、それでお客さんが楽しんでいるのだから、行き着く先は一緒じゃないかと思ったわけです。(霊能詐欺あるいは超能力詐欺はダメですよ)
 ちなみに、二話から登場する夏目のモデルはその作品に登場する超能力者の青年です。芸能人、イケメンといった記号もそこから取りました。

 騙すことは悪いことなのか。

 こういうテーマから出発したので、だから、奇術師なのです。オカルト側である陰陽師の対比で置いたのではなく、奇術師という存在が、相手を騙すことで幸せにしているという、分かりやすく、また説得力のある存在だったので、メインキャラクターに据えました。
 当然、こういうテーマなので、相方はそれに悩んでいる(疑問に思っている)キャラの方が立ちます。それがなんであれ、騙すことや嘘をつくことは悪いことだと思い込んでいる無垢なキャラが必要だったのです。
 そして、禅というキャラクターが生まれました。その肩書きとして陰陽師を与えたのは、よりダークな方法で、陰陽師も依頼者を騙している(決して悪い意味だけではない)という論拠が前提にあります。私は霊感がないのでご勘弁を。
 悩むからにはそれなりの理由がいりますから、霊感はないが陰陽師の卵という設定を与えました。

 禅の音はゼンです。
 陰陽師は、陰と陽の二面性を持っています。陰陽は、月と太陽、女と男という分け方だけでなく、善と悪にも分けられるわけです。ケガレを祓う良い陰陽師もいれば、人を呪ったりする悪い陰陽師もいるのです。
 ですので、音を善に合わせることで、禅というキャラクターがどのような立ち位置のキャラなのか、音からも、(無意識にで良いから)、分かるようにという思いで、彼に禅という名前を与えました。もちろん、それが成功しているかどうかは分かりません。ただ別にそのイメージが伝わってなくてもいいのです。作者はこういう風に名前を考えましたよ、という程度のものです。ただ禅という名前には、字面には、無欲さや強い宗教感、保守派的な印象があるように感じますし、なによりも誠実な感じがします。彼にぴったりの名前だと思います。気に入っている名前の一つです。


 さて。先に述べたように、オカルトトリックという作品はもう私の手では制御不能なものになっています。続編を書きたいという思いがあっても、あの雰囲気は、あの文章は、あのキャラクターは、とてもじゃありませんが書ける気がしないのです。
 そこでスピンオフです。同じ舞台、同じ題材で、別のキャラクターが主人公となった物語のことですが、これなら書けるかもしれません。天空城殺人事件の続編――魔王城殺人事件のあとがきで、オカルトトリックのスピンオフを書くかもしれないと述べたのはこういうことです。少し大人びた感じになるかも知れませんが、もし発表できたら、読んでいただけたら嬉しいです。

 ここからは謝辞を。

 涼しげな凛と色合いの素敵な表紙は、はぎや様に担当していただきました。はぎや様の切り絵でどれだけの読者様が引き寄せられたのだろうと考えると、何度頭を下げても足りません。本当にありがとうございます。

 そして、うちの代表の南郷にも謝辞を。
 南郷がいなければ、彼がオカルトトリックを読まなければ、俺が手伝うから電子書籍で出そうと言わなければ、今の私はないと思っております。ひょんなことから始まったN-angou文庫ですが、こうして一年が経ち、多くの方に読まれて、幸せを感じない日はありません。本当にありがとうございます。いつも問題を抱えている私ですが、二年目もどうかよろしくお願いします。

 最後に読者様に。
 拙作「オカルトトリック」をダウンロードしていただき、最後まで読んでいただき、大変恐縮でございます。楽しんでいただけたら幸いです。この一年で本作を含めた既刊にたくさんのレビューをいただき、大変励まされております。本当にありがとうございます。一生懸命書いて参りますので、これからもどうぞよろしくお願いします。

 願わくは、オカルトトリックのスピンオフでお会いできますように。
 何卒よろしくお願いいたします。


八槻翔 拝



この記事へのコメント

24時間の人気記事

先週の人気記事

最近の記事

最近のコメント

カテゴリ

過去ログ